「おはようさん、支倉」
「……仁王くん……ほんとに来ると思わなかったよ……」
「そう思いながらもちゃんと約束した時間に現れるお前さんは律義じゃのう」
「だ、だって、一応一方的とはいえ、約束しちゃったし」
土曜日、午前10時半。
約束通り仁王くんは我が家の最寄りの駅に現れた。しかも、頑張りすぎてはいないけれど、さりげなくセンスの良い私服で。そんな仁王くんを見て、彼は立海の中でも相当な人気を誇る人だったことを思い出す。学校から家が遠いのが今までストレスだったのだけれど、今日ははじめて、学校から家が遠くて良かったと思った。こんな仁王くんといっしょにいるところを見られたら、絶対、あらぬ誤解を招くに決まっている。
「おかえり麻衣。って、あらーいらっしゃい!!」
「お母さんテンション高すぎ!」
「だって!今日遊びにに来るお友達っていうのが男の子とは聞いてたけど、まさかこんなイケメンくんだとは思ってなかったんだもの!」
「ちょっ!いや、仁王くんほんとごめんね騒々しい母で……!」
ちらりと仁王くんを見上げると、仁王くんは見たこともないような笑顔でうちのお母さんに向かって「お邪魔します」と言った。ああ。これが営業スマイルってやつですか。仁王くんは、マダムキラーでもあるようだ。仁王くんを家の中に通しながら、お母さんは私に耳打ちをする。
「麻衣、」
「……何」
「もしかして、あの男の子あんたの彼氏?」
「まさか。ただの猫好きだよ……」
「なんだぁ、残念。まあ、あんたにあんなかっこいい彼氏できるわけないよねー」
「それはそれでムカつくんですけど……!」
そして、ついに仁王くんとマサハルが対面する時が来た。
マサハルはいつものように縁側で丸まっている。
「この白いのが、マサハルだよ」
「ほお。実際会ったほうが、イケメンじゃの」
マサハルは聞き慣れない声に反応したのか、くるり、と首を仁王くんのほうに向けた。そう、うちのマサハルは人見知りなのだ。元々は野良猫だったのを拾ってきたせいか家族以外にはあまり懐かず、すぐに逃げて行ってしまう。しかし、今日のマサハルは違った。
「あれ?」
「ん、どうした?」
「マサハルが自分からお客さんに近づいていくのってめずらしいなって思って」
マサハルは身体を起こしてそろりと仁王くんに近づくと、その匂いをくんくんと嗅いで、そのまま仁王くんの腕に頭をこすりつけた。いわゆる、すりすり、だ。
「仁王くん、マサハルに気に入られたみたいだね」
「へえ。ふてぶてしい顔しとるわりにはなかなかかわええのう、マサハル」
「いいなー…私でさえマサハルからはあんまりすりすりしてもらえないのに……」
「そうなんか?」
「うん。マサハルね、元々捨て猫だったんだ。だから警戒心が強くって、最初のころは身体触らせてもくれなかったの」
「……この様子からだと想像もできんな」
仁王くんはそう言いながらマサハルの背中を撫でる。マサハルは気持ち良さそうにゴロゴロゴロゴロと喉を鳴らしている。
「こんなかわいい顔して結構バイオレンスだしねー。いまだに機嫌悪くなったら引っ掻いてくるもん。あ、マサハル、仁王くんのことは引っ掻いちゃだめだよ」
そうマサハルに言ってはみたものの、そんな台詞はまるで聞こえない、とでも言うように、マサハルは相変わらず仁王くんに撫でられたまま喉を鳴らし続けている。
「え、スルーされた…!」
「ククッ、お前さん、コイツになめられてるんじゃなか?」
「……案外それ図星かも。ねーマサハル、もしかしてマサハルは私のこと見下してたりする?」
仁王くんに撫でられたままのマサハルの顔を覗き込むと、マサハルはやっと私のほうに視線を向けて、小さく、にゃあ、と鳴いた。その鳴き声の真意はわからないけれど、とりあえず、こうして正面からマサハルを見るとやっぱりかわいい。マサハルはそのまま仁王くんのもとからするりと抜けて、今度は私のそばにやってきて、私の腕にすりすりしたかと思えばそのまま丸くなった。え、何これ、かわいい!かわいいよマサハル!
「お、ちゃんとお前さんも好かれとるんじゃのう」
「……どうしよう仁王くん、かわいすぎるよね今の!マサハルだいすき……!」
「おっと、お前さん、いつから俺のことが好きになったんじゃ」
「は?」
「――俺も、『雅治』なんじゃけど?」
そんなことを言う仁王くんは意地悪そうに笑う。
「な、ち、違っ!!今のは仁王くんじゃなくて猫のほうのマサハルだもん!」
「顔真っ赤ぜよ。お前さん、前から思っとったが、からかうとなかなか面白いのう」
「ちょ、人で遊ばないでください…!」
仁王くんはまるで新しいおもちゃを見つけたような顔をしている。いや、実際に私は彼にとって新しいおもちゃなのかもしれない。そんな調子でマサハルと仁王くんと私は3人でまったりと過ごしていたのだけれど、仁王くんはふいに腕時計を見やると、「そろそろ、お暇するか」と呟いた。私も慌てて時計を見る。もう12時近い。
「――お前さん、午後はヒマか?」
ジャケットを羽織りながら、仁王くんはそんなことを訊ねた。
「あーうん、暇人だよ」
「だったらこの後、つきあってくれんかの」
「えぇ?!」
「ヒマなんじゃろ?」
「そうだけど……」
「別に嫌なら、強制はせんよ」
――どうしてそういう言い方するかなぁ仁王くんは。
こんな言い方されたら断れないじゃない。
「別に私、嫌なんて言ってないもん……」
「じゃあ、決定じゃき」
「え、で、でもちょっと待ってよ、どこに行くの?」
「ピヨッ」
「今日は『プリッ』じゃなくて『ピヨッ』なのね……」
あれ、いつの間にか、私、仁王くんにふりまわされている気がする。