第15話 3年目・初夏

 ドライブから帰ってきて、家に着いたのは日付が変わる頃。忍足さんとは平日毎日顔を合わせているから、あまりLINEなんて送ったことはなかったけれど、はじめてちゃんとしたLINEを送ってみた。

『今日はありがとうございました!
 だいぶ運転思い出せましたし
 夜のドライブ楽しかったです。
 次は山方面、よろしくお願いします』

 どんな返信がいつくるかもわからない。そもそも返信なんて来ずにスタンプ1個とかかもしれない。でも柄にもなく中高生のようにドキドキしてしまって、スマホを伏せて、お風呂に入ることにした。
 そして、お風呂からあがってスマホを見ると──なんとLINEの通知がきている。ちょうどメッセージがきたのは10分前だった。

『1日疲れたと思うからゆっくり休みや。
 俺も楽しかったわ。
 山方面、GW入ると車混むから
 その前に行けるとええな』

 予想以上に嬉しい返信がきて、舞い上がる。なんか、普通に付き合う前のカップルみたいだ。──少しは期待してもいいのかな。

 月日は流れ、私が渉外課に来てからもうすぐ丸3ヶ月になろうとしていた。はじめは慣れなかった運転も慣れてきて、お客様とも仲良くなってきて、渉外特有の事務も覚えてきた。そんな中、忍足さんに業務上で声をかけられる。

「支倉さん、ちょっとええ?」
「はい忍足さん。何でしょう?」

 仕事中で公の場の場合、忍足さんは私を「支倉さん」とさん付けで呼んでくれる。そういう、キチンとしたところが嬉しい。

「俺の担当してるお客様、もちろん会社なんやけどな。その社長が、個人資産の運用についても相談したい言うて。せやけど俺、個人の運用についてはほぼ何もわからへんから、今度一緒についてきてくれへん?エリア的に支倉さんの担当エリアやろ」

 そう言って忍足さんは印刷したお客様のカルテを渡してくれた。確かに住所は私の担当エリア内だ。

「ぜひお願いします!」
「おん、ほなアポ取れたらまた共有するな」

 そして後日、忍足さんと私は、とある会社を訪問することになった。6年目となった忍足さんは、基本は従業員数100名以上の大きめの企業も担当しながら、一部、ほぼ家族経営のような企業も担当していて、今回は後者だ。

 はじめて忍足さんの助手席に乗った日から、何度か私達は運転練習なのかデートなのかわからないドライブを重ねた。その中で徐々にお互いに流れる空気感が変わってきたのは感じているけれど、あえて言葉にはしていなかった。
 仕事で忍足さんの助手席に乗るのははじめてで、何だか緊張する。営業車は全部同じ車種のはずなのに、まるでこの車が忍足さんのプライベート空間のような気がした。

「社長の個人資産のメインバンクは他行やねんけど、うちの銀行にもつきあいで1千万だけ何もせんと預金してあるらしいねん。とりあえずそれ運用してもいいんちゃうって話になってな。あとは支倉の営業力次第や」
「わかりました。他行さんに置いてあるご資金や不動産など含めた総資産のバランスにもよりますし、お会いしたらヒヤリングしてみますね」

 とはいえ、車の中でそんな真面目な話をしていたら、すっかり仕事モードに切り替わった。せっかく忍足さんがトスアップ(紹介)してくれたんだから、きちんと成果を出そう。

 今回の商談は最終的には1千万円の契約に結びつき、しかもメインバンクから追加で資産を当行に移して、後日さらに運用してくれるとのことになった。社長と奥様は、初めて会う私にも終始好意的で、こんな社会人3年目のまだまだ未熟な私の話も一生懸命聞いてくれた。それもこれも、事前に忍足さんが信頼関係をきちんとお客様と築いているからこそなのだ。

「本当にありがとうございました」
「礼を言うんは俺のほうや。俺がこの支店来た時まだ1年目のひよっこやったのにな〜。普通に運用相談乗っとる姿見て『めっちゃ成長してるやん』って思わず感動してもうたわ」

 もちろんトスアップの数字もな、と忍足さんは笑う。今回忍足さんのトスアップで私が契約を取ったので、お互いに営業成績がつくのだ。
 後輩の成長を純粋に喜ぶ忍足さんに人の良さを感じる。学生時代も、こんな感じで後輩のこと可愛がっていたのだろうな。

「支倉、このあとアポ入っとる?」
「入ってないです」
「……今日預かった申込書、オーバーナイトやんな?」

 オーバーナイトというのは、本日付けではなく翌日付けで処理されるもののことを言う。銀行は15時に閉まるため、15時以降の処理になるものは基本的に翌日処理することになるのだ。

「はい。オーバーナイトです」
「ほんなら、支店戻るのちょお遅なっても大丈夫やな」
「え?どこか行くんですか?」
「あんまり毎日真面目くさって仕事しとったらストレスたまるで」

 いたずらっぽく笑った忍足さんは、車を支店とは逆の方向に走らせている。どこに着くのかと思いきや、私の担当エリア外にあるおしゃれなカフェだった。でも、このカフェの名前は知っている。営業課時代、このカフェから預かった伝票をたくさん処理した経験があるからだ。
 駐車場に車を停めて、忍足さんは「こんにちはー」と何の悪びれもなしにカフェへ入っていく。そうすると、奥からマスターが出てきて「忍足さん、今日はお客さんとして来てくれたんですか」なんて笑っている。

「一応『訪問』っちゅうことでお願いします」
「はは。じゃ、今僕たちは『商談中』ってことで。ゆっくりしていってください」

 ちょうどカフェが空いている時間帯だったのもあり、お客様は私たちしかいなかった。一応バレないように奥の方のテーブルに座ると、そのままマスターがメニューを持って来てくれた。

「ここのケーキめっちゃ美味いで」
「おごってくれるってことでいいですか?なーんて」
「当ったり前やろ。支倉のおかげで俺の実績もつくんやで。ケーキくらいおごったるわ!」

 冗談で言ったつもりなのに、この先輩は、目の前でドヤ顔をしている。こういうところ、可愛いなあ。

「では遠慮なく!どれも美味しそうですけど……いちごショートかガトーショコラかで迷う……」
「両方頼めばいいっちゅー話や。好きなだけ食べや」
「さすがに2つは入らないですよ?!」
「残ったら俺食うわ。あんま帰るの遅なるとさすがにバレるし早よ注文すんで」

 忍足さんはマスターを呼ぶと、そのままケーキセットを2人分注文した。しばらくして私の方にはショートケーキと紅茶が、忍足さんの方にはガトーショコラとコーヒーが運ばれる。

「では、まずいちごショートから……」

 心してフォークを刺し、一口だけ口に含む。
 そこから先は、しあわせな世界が広がっていた。

「……!すっごくおいしいです!」
「さよか。そらよかったわ」
「こんなにおいしかったら2つとも全部食べれちゃいそうです」
「おん。食えるだけ食っときや。太っても知らんけど」
「!」

 忍足さんはコーヒーを飲みながら楽しそうに笑っていた。こんな時間が永遠に続けばいいのにな、なんて思うけれど、私は気づいていた。
 忍足さんがこの支店に来てからもうすぐ丸2年になる。銀行員の異動は早い。早ければもう数ヶ月後には彼はどこか遠いところへ異動してしまうのかもしれない。

to be continued…