銀行に入行してはじめて配属された支店は、通常の入出金などをするカウンターの他に、企業や個人にお金を貸す融資課や、外回りの営業部隊である渉外課も兼ね揃えた大きめの支店だった。このように大きい支店のことを「母店」と言うらしい。若手の中でも2か店目、3か店目で母店に異動になる人は優秀な人なんだよ、と、OJTで指導してくれている3年目の先輩は言った。すると、きっと朝礼でみんなの前で挨拶しているこの先輩は、優秀な人なのだ。
「この度、渉外課に配属になりました忍足謙也です。はじめての異動でご迷惑をおかけすることもあると思いますが、早くキャッチアップして精一杯頑張ります。よろしくお願いします」
7月の異動で、彼は私のいる支店にやってきた。文字にすると標準語だけれど、イントネーションがバリバリの関西弁だ。大阪の支店から異動してきたみたいだし、関西の人なのかな。とはいえ、営業課でまずは入金・出金・振替・口座開設等々の事務の修行中の私には渉外課にそこまで縁はなく、彼に対する興味もそこまでなかった。
なのに、だ。
朝礼が終わった後は、各自自分の持ち場に戻るのだが、忍足さんの方から話しかけられた。
「支倉さん、で合っとる?」
「は、はい?!」
何で名前を知ってるの?!
あ、私が名札つけてるからか。
「その名札の若葉マーク、1年目やろ。俺も4年目やけど、この支店は1年目やし同期やな!よろしゅう頼むわ」
そう言って、忍足さんはニカッと笑って右手を差し出した。──4年目の先輩なんて私から見ると大先輩なのに、腰が低くて良い人そうだなあ。しかも、近くで見ると結構かっこいい。私も右手を差し出して握手に応えた。
「支倉です。よろしくお願いします」
「おう。色々教えてや!」
*
うちの支店の構造は、1階が営業課、2階が融資課、3階が渉外課、という構成だ。渉外担当者は、1階の職員玄関から営業課の営業室(お客様もいらっしゃるフロア)へ入り、営業課の事務担当にその日預かった通帳や伝票など、いわゆる「預り」を託したあと、3階の渉外課のフロアへ戻っていく。
その日も、営業室のドアが開いたかと思ったら、忍足さんが外回りから一旦支店に戻ってきたようだ。他の渉外担当の人は適当に軽く頭を下げて営業室に入ってくるけれど、忍足さんはきちんと大きな声で「いらっしゃいませ」と言って、お辞儀をして入ってくるところが素敵だな、といつも思っている。
「忍足さん、おかえりなさい」
「おん。支倉さん、ただいま。今日はロー2線なん?」
「はい。今週はローカウンターと2線です」
「へー。頑張ってるやん。個人営業志望やったよな。もうすぐローひとり立ちか?」
「来月からはひとり立ちの予定です…!」
「おっ、すごいやん。えらいな!」
忍足さんはほめ上手だ。まだまだ1年目でミスも多く、お客様からも先輩からも叱られてばかりの毎日だから、忍足さんの何気ないほめ言葉にとても救われる。きっとこういうところが、忍足さんの魅力なんだろうな。
異動してきてまだ1,2ヶ月なのに、すでに忍足さんは支店の若手の中の人気者だった。パートのスタッフさんからも可愛がられているし、支店の若手男子たちは毎日のように忍足さんと飲みに行っている。
「ほな、今日の預りは支倉さんに託すわ」
「棚のところ置いておいてもらえればあとで処理しますよ」
「あーすまん、ちょお急ぎやねん。また夕方にお客様んとこ訪問して返す予定なんや」
「そうなんですね!そしたらすぐやりますね」
「おん。頼むで!ほな俺3階戻るわ」
渉外カバンから預りを取り出して、それを私に渡すと、忍足さんはまた営業室の出入口できちんと一礼をして、去っていった。
どれどれ、と預りの中身を見る。会社名義の通帳が数通と伝票が数枚。なるほど、記帳と振替か。件数が多く金額も大きいけれど、オペレーション内容は難しくないから、私でもできそうだ。
それにしても、預り証に書かれている忍足さんの文字は、意外とキレイだ。なんだか勝手に字が汚そうという失礼なイメージを持ってしまっていて、ごめんなさい。
店頭は空いていて、特にお待ちの伝票もなかったので、さっそく課長の許可を得て忍足さんの預りの処理をする。渉外担当者の忍足さんの印鑑の横に、処理担当者の私の印鑑を押して伝票を端末に読み込んでいく。
1年目で、まだまだ何もわかっていない私だけど、今この瞬間は忍足さんの役に立てているのかな。
そんなふうに思ったら、もう何十回、何百回とやったことのある端末での処理も、いつもより気合が入った。
to be continued…