白石くんと温泉旅行に行く話

 はじめて蔵と温泉旅行に来た。最近まで彼は大きなプロジェクトを抱えていたけれど、そのプロジェクトが無事ローンチしたお祝いだ。

 蔵は本当は露天風呂付きのお部屋に泊まりたかったみたいだけど、そこから発生しそうなイベントを想像すると私の心臓が持たなそうなのと、残念ながら泊まりたかったお宿の露天風呂付きのお部屋は予約がすでに埋まっていたから、それは次回のお楽しみにしてもらって。

 ふたりで浴衣と半纏を着て、ちょっと高級な部屋食を頂いて、そのあとは、それぞれ分かれて大浴場へ。温泉を楽しんだ後は、部屋で待ち合わせだ。

 久しぶりの温泉を楽しみながらも、このあと起こることを想像してどきどきする。いつもより念入りに身体を洗って、温泉の効能を見て「美白」なんて書いてあったら長い時間浸かってみたりして。

 ──だって。
 おそらく、今晩、私は彼に抱かれるのだ。

 部屋に戻ると、蔵は先に戻っていた。

「おかえり」
「た、ただいま」

 こんな挨拶をしていると、なんだか同じ家に住んでるみたいで、結婚したらこんな感じなのかな、なんてすぐに妄想してしまう。そして、私たちが温泉に浸かっている間に、部屋にはふかふかのお布団が二組用意されていて、なんとも言えない気持ちになる。
 蔵は、部屋の入口に近い方の布団の上で、浴衣を着たまま日課のヨガとストレッチをしている。半纏は枕元に畳んで置いてあった。暑くて脱いだのかな。半纏を着たままだったら、ストレッチもしにくいだろうし。でもそんな格好でストレッチしているせいで、ちらちらと蔵の筋肉質な胸元が見えて、こっちがなんだか恥ずかしくなる。

「風呂、どやった?」
「めちゃくちゃ気持ちよかったよ」
「やんな。俺もだいぶ疲れ取れたわ」
「残業大変そうだったもんね…」
「ま、ローンチ前っちゅうんは大体そんなもんや」

 蔵はそう言いながらストレッチをやめて、布団の上でそのまま胡座をかいた。

「んで、いつまで突っ立ってるん?」
「あ、そうだよね、奥の布団使わせてもらうね」

 私は蔵の布団の枕元を通りながら、奥の布団へ向かい、そこに座る。そして、蔵に背を向ける形で、奥の布団の足元に置かれている自分の旅行カバンの中へ、さっきまで手に持っていたお風呂グッズをしまっていく。
 いつも通り平静を装っているつもりだけど、ちゃんとできてるかな。美味しい夕食も頂いたし、気持ちいいお風呂も頂いたし、あとは寝るだけなのだ。寝るだけ──そう思うと、緊張する。

「もう夜も11時過ぎたし、明日も朝風呂したいし、早いけどそろそろ寝よか」

 ふと背中の方向から、いつになく暢気な蔵の声が聞こえてきた。

 あれ、この感じ。
 もしかして、これ普通に寝るのかな?

 私ばっかりいろいろ想像して緊張していたけど──まぁ、最近まで休日出勤も多かったし、いくら温泉で疲れ取れたっていっても仕方ないのかな。
 お疲れの蔵を休ませてあげたい気持ちは、もちろんある。けれど、変に期待してしまっている自分がいたから、とても恥ずかしいし、正直欲求不満だ。せっかくこんな素敵なお宿に来たのにな。でも、そんなことまさか言えないし。

「──ん。寝よっか」

 あきらめにも似た感情で、そう言って蔵のほうを振り向いたら、驚いた。だるまさんがころんだをしていたんじゃないかってくらいに、いつの間にか真後ろに蔵がいたからだ。

「?!」
「……なーんて、そんな健全な夜過ごせる思ったら大間違いやで」
「えっ」
「麻衣もほんまはこういうの期待してたんちゃう?」

 そのまま後ろから抱きしめられて、私のうなじに蔵の鼻先が当たるのを感じる。わ、待って待って白石蔵ノ介さん…!そういうのはダメだって。ほんとに。心臓に悪い。

「……ええ匂いする」
「お風呂上がりだもん……」
「麻衣のうなじ、ええな。普段下ろしとること多いから貴重や」

 蔵は私のうなじにキスを落としながら、私の腰に回した手で、私のお腹あたりにある半纏の蝶々結びを器用に解いた。なんでキスしながらこんな器用なことできるんだろう。変なところに感心してしまう。
 でも、なんだか嬉しくもあった。彼も私と同じ気持ちなのだ。大好きだからこそ、愛し合っているからこそ、お互いの心も身体もぜんぶ欲しくなる。
 いつの間にか髪ゴムも解かれて、半纏も脱がされて浴衣一枚になった私の正面に蔵がいる。

「……すっぴん可愛えな」
「……あんまり見ないで」

 蔵のほうが、メイクもしていないくせに、よっぽど綺麗な顔をしている。少しでもメイクで可愛くなった顔で隣にいたいのに、蔵はいつもすっぴんになった私を見ると、本当に嬉しそうな、幸せそうな顔をするから、胸がきゅっとする。

「ほな、あんまり見えんように電気消そな?」

 体よくそんなことを言って、蔵は手元にあったリモコンで部屋の電気を消した。そして、ゆっくりと蔵の体重が私に乗って、気づいたらふかふかのお布団と蔵の身体の間に挟まれてしまった。
 薄暗い中で、私を押し倒している蔵と目が合う。蔵は少し口元に笑みを浮かべると、そのまま私の耳元にくちびるを寄せて、囁いた。

「すけべ、しようや」

Fin.
2021.10.21