春を待つ

 受験生を受け持つのはプレッシャーだ。しかも俺の通う大学の同じ薬学部を受けるというなら尚更。

 家庭教師のアルバイトは時給も良かったし、微力ながらも教育に携われること、その子の人生の選択に関わって後押しできることが魅力的だ。今までにもたくさん色んな生徒を教えてきたが、今年担当することになったその子は、はじめての女の子の生徒だった。

 一般的には家庭教師というのは、特に学生講師の場合、異性の講師を当てないようにするものだが、斡旋先から強く依頼された。俺の通う大学の俺と同じ薬学部を目指している生徒だから、どうしても俺に担当してほしい、と。

 二次試験で必要とされる科目は、数学、化学、生物、英語、小論文。さすがに小論文を教えられる技量はなかったが、その他の科目は全て俺に委ねられた。
 真面目な彼女はきちんと出した宿題はこなしたし、正答率も高かった。今も俺は彼女に数IIIの問題を解かせている。その間、隣で時間を計りながら彼女の手元を見る。迷いなく動くシャープペンの先から、キレイな数式が生み出されていく。この調子やったら、きっと普通に受かるやろな。そう思ったのに、突如彼女のペンの動きが止まる。

「……あれ?」
「ん、どないしたん」
「多分計算合ってなくて……考え方は合ってるはずなんですけど……」

 眉根を寄せて問題と自分のノートを交互に見つめる彼女に、俺は言う。

「……時間計るのやめて、答え合わせしよか?」
「い、いえ!大丈夫です。本番の入試の時は白石先生が隣にいてくれるわけじゃないし。もう少し自力で頑張ってみます!」

 すぐに楽な方に逃げず挑戦する選択をする彼女に、俺は好感を持っていた。ええ心がけや。
 最初は単純に生徒として、とても努力家で真面目で教えがいのある子だと思っていた。ところが、週2回、彼女の部屋でこうして勉強を教えているうちに、彼女に対して生徒としてだけではない好意も生まれつつあった。
 ──いや、普通に考えてあかんやろ、俺。
 もちろん彼女に気持ちを伝えようなんて気は毛頭ない。純粋に彼女は俺を家庭教師として慕ってくれているし、信頼してくれている。俺が今彼女にできることは、彼女の将来の夢、薬剤師になることを叶えるために、薬学部への合格を全力で手伝うことだけだ。

 問題を解きながら、彼女はぽつりと言う。

「──白石先生、」
「ん?」
「先生って、今、大学3年生でしたよね」
「せやで」
「私がもし無事に薬学部受かったら、4年生の先輩なんですよね」
「……そうやな」

 突然何やろ。ただ、言われてみて改めて気づく。彼女が無事来春うちの薬学部に受かれば、彼女と俺の関係は、先輩と後輩になる。そうなったら──もしかしたらこの気持ちを伝えてもええ日が来るのかもしれへん。
 彼女は問題を解く手を再び止めて、ちらりと俺の方を見る。その頬と耳はほんのり赤くなっているように見えた。

「白石先生と先輩と後輩になれたら、その時は──」
「?」
「──あ、いえ、やっぱり何でもないです、すみません」

 彼女はまたノートに視線を落とすと、続きの計算をし始めた。ただ、彼女の耳はまだ赤い。何となく彼女が言わんとしていた言葉の続きが俺にはわかってしまったような気がして、俺まで何だか顔が熱くなってきたような感じがした。
 彼女が問題を解くのに集中してくれていたから、情けない顔を見られずに済んで良かった。

「──ほんま、早よ後輩になってや。俺も待ってるわ」

 この言葉に込めた想いに、彼女はどこまで気づいているのか。

Fin.
2021.11.5