今日は私達がつきあってからちょうど1年の記念日だった。しかし、千歳は明らかに記念日をマメに祝うような男ではない。その根拠に、今まで1か月記念も半年記念も、何もしてこなかった。むしろ記念日自体を覚えているのかさえ怪しい。別に忘れられていても、いっしょにいられるだけでしあわせだからいいのだけれど、でもさすがに1年の記念日はデートがしたかった。
だから、昨日、私は今日のデートを提案した。久しぶりに千歳の家でゆっくりデートしたいなぁ。普段はあまりそんなことを言わない私が恥をしのんでそう甘えると、千歳はからかうように笑った。
「麻衣からそぎゃんこつ言うのは珍しかね」
「……雪でも降りそう、とか言いたいんでしょ」
千歳のその表情に思わず頬を膨らませると、千歳はそんな可愛げのない私に向かって、やっぱり麻衣は可愛か、と笑った。
――もう、そんなことを言ってくれるのは千歳しかいないよ。
そんな言葉を飲みこんで、千歳と目を合わせると、千歳はその大きな手で私の頭をくしゃっと撫でた。
*
そして、今日である。今日は学校が終わるなり、ふらりとどこからともなく現れた千歳は私を呼びとめてある物を預けた。セーラーの上に来ていたカーディガンのポケットにチャリ、という音を立ててそれは吸い込まれていく。
「え、千歳、これ……」
「部屋の鍵ばい。俺は今日ちょっと寄り道してから帰るけん、先入っといてくれんね」
「寄り道って……私もつきあうよ?」
「あ、……その……いや、すぐ済む用だけん」
そう言う千歳の目は泳いでいて、何やらおかしい。私が訝しげな表情で見つめると、千歳は冷や汗をかいたような笑顔で、また後でな、とダッシュでその場を去って行った。絶対怪しい。何か隠している。
女の子から告白でも受けて、それを断りに行っているのだろうか。
もしくは部活をさぼりすぎて、ついに白石くんからお説教をくらうのだろうか。
どっちにしろ、別に良いのだけれど、一人きりで千歳の家に向かうのは少しさびしかった。本当は帰り道手をつないで、いっしょにお買いものに行って、お料理して、ごはんを食べて……そんなことを想像していたのに。
とはいえ千歳のアパートは高校から目と鼻の先のところにある。あっという間にたどり着いてしまった。きっと家賃は格安なのだろうな、と思わせる風貌のアパートの階段をカンカンと音を立てて上り、千歳の部屋の鍵を開ける。決して広くない和室の真ん中にちゃぶ台がひとつ。いつ来ても千歳の部屋はこんな感じだ。
「っはぁー。千歳早く帰ってこないかなぁ……」
部屋に上がって、ちゃぶ台に突っ伏しながらそんなことを呟く。握りしめた携帯は震えない。
そのままぼーっとしていたら、いつの間にかうつらうつらしていたらしい。
ピーンポーン、そんな音で目が覚めた。
「――はい?」
「麻衣。俺ばい」
「あっ、おかえり千歳!」
慌てて飛び起き、そのまま3歩先の玄関に向かい、鍵を開ける。
当たり前だが、ドアの外には千歳が立っている。そして、その手には、紙袋がぶら下がっている。その袋の柄は、よく見ると――
「……って、千歳、それ、駅前のケーキ屋さんの箱だよね?もしかしてそれ買ってたから遅くなったとか?」
「――さすが。麻衣に隠しごとは出来んね」
「ふふ。でも千歳でも甘いもの食べたくなる時ってあるんだね」
「は?」
「え?だって、ケーキ……」
「麻衣」
そう言うと玄関の内側に入った千歳はかがんで、私と同じ目線になる。パタン、と薄いドアが軽い音を立てて閉じる。彼の表情はいつになく大人びていて、思わず見惚れた私は口を噤んだ。そのまま千歳は、私に言い聞かせるように、静かに言う。
「さすがの俺も、大切な日くらい、覚えとるばいね」
「――え、じゃあ、」
「その……今まで1年、俺はテニスばかりで、麻衣に大した構ってもやれんかった。だけん、今日くらいはな」
え、嘘、千歳、記念日覚えててくれたんだ――。
しかも、覚えてくれていただけじゃなくて、雑誌に載るくらい人気がある駅前のケーキ屋さんに、この194センチの彼がわざわざ並んで、このショートケーキを買ってきてくれたんだ。
少し頬を赤く染めて微笑みながら、照れ隠しのように「ホールじゃなかけん、しょぼかよ?」なんて続ける千歳に抱きつくと、千歳は喋るのをやめた。
「千歳、」
「……麻衣」
大好き。そう呟きながらその胸に顔を埋めて、思わず零れてしまった涙を見られないようにすると、千歳は「俺も」と短い言葉を囁いたかと思えば、勢いよく強い力で私を抱きしめ返した。その勢いで、ケーキは箱ごと畳の上に落ちてしまったようだけれど、千歳からのキスに応えるのに必死だった私はそんなことを気にする余裕もなかった。
Fin.
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