寝たふり

 部活も引退したので、放課後、受験に向けて図書室で勉強するようになった。受験といっても、立海は内部進学できるから、そんなに気を張るものではないのだけど。そんなわけで、友達は受験勉強する私に「真面目だね〜」なんて声をかけて、放課後は遊びに出かけていた。でも、外部受験で高校から合流する子たちはきっと成績も良いはずだし、ちゃんと外部受験しても立海に入れるくらいの成績は担保しておきたい。

 そんな中、毎日図書室に通うようになると、同じクラスの柳生くんの姿をよく見かけるようになった。柳生くんも放課後、かなりの頻度で図書室で勉強しているようだ。どちらともなく声をかけると、私たちの勉強の目的は一緒だった。「それなら、一緒に勉強しますか?」と、紳士な柳生くんは提案してくれて、それから毎日のように柳生くんと放課後、勉強をしている。そんな中、私が柳生くんに惹かれてしまうのに時間はかからなかった。その柔らかな物腰で苦手なところを優しく教えてくれるところ、隣に座るときにそっと椅子を引いてくれるところ。そして、ふとしたときにメガネの奥の穏やかな瞳に見つめられると、胸がどきどきと音を立ててしまう。勉強するために図書室に通っているはずなのに、今やもう、勉強にかこつけて、柳生くんに会いに行っているみたいで、そんな自分に自己嫌悪する。もう、ちゃんと勉強しなきゃだめだよ、私。

 そんなある日のこと、委員会で図書室に着くのが遅くなってしまった。柳生くんはもう来てるかな…?!そう思って図書室のいつもの席へ向かうと。

「……え?」

 柳生くんの隣の席に自分で椅子を引いて座る。そして、そっと隣にいる彼の顔を見上げる。そのメガネの奥の瞳は伏せられていて。――もしかして、柳生くん、寝てる?
 耳をすませば、スースーという寝息。寝息まで上品なのか、この人は。普段はまじまじと柳生くんの顔なんて見ることはできないけど、思わず見てしまう。私より綺麗なんじゃないかという陶器みたいな肌、通った鼻筋、閉じた瞳を縁どる長い睫毛。
 起こした方がいいのかな。でも、疲れてるみたいだし……。せめて寝るのであればメガネは外した方がいいんじゃないか。周りに人がいないことを念のため確認して、私は椅子から立ち上がると、柳生くんのメガネの両方のテンプルをそっとそれぞれ右手と左手の指で挟んだ。そのまま、そぉっと柳生くんを起こさないようにメガネを取って、テンプル部分を折りたたんで机の上に置く。
 柳生くんのメガネをしていない顔はなかなか拝める機会がない。メガネを外してなお眠っている柳生くんは、年相応の15歳の男の子に見えた。いつもは本当に同い年なのかな、なんて思ってしまうくらい大人っぽいのに。そのギャップに、また胸がきゅうっとしてしまう。どうしよう、かっこいい、でも可愛い。

「……勉強しなきゃ」

 自分に言い聞かせるように、でも柳生くんを起こさないように小声でそう呟いて、私はまた椅子に座り直して机に向かう。鞄の中から問題集とノートと筆箱を取り出して、無理矢理に勉強を始めると、意外にも集中することができた。

 ――完全に起きるタイミングを見失いましたね……。
 柳生は心の中でため息をついた。メガネのテンプルに誰かの指が触れる気配を感じ一気に目が覚めた。そして、瞬時に自分の置かれた環境を理解した。これが他の人間であれば不快でしかないのだが、彼女だということがわかったためにそうはならなかった。むしろ。

 薄目を開けてみたが、目の前の彼女は気づいていないようだ。彼女は自分のメガネを大切なものを扱うように優しく畳んで机の上に置くと、そのままこちらを見つめている。普段メガネをしている顔しか見られていないので、柳生は急に恥ずかしくなった。メガネを外され、しかも寝顔を、好いた女性に見られるなんて。なるべく彼女の前では紳士的にいたいのに、今の状況では何も繕えない。
 それでも彼女は、とても慈しむような、それでいて真っ赤な顔でこちらを見つめているから、彼女の中の自分に対する感情は決して悪いものではないのだと認識した。

 その後、彼女が「勉強しなきゃ」と自分に言い聞かせるように机に向かったのを確認して、柳生は開けていた薄目を再び閉じる。いつまでこの寝たふりを続けましょうかね。そんな答えのない問いを、自分の胸に問いながら。

Fin.