保健室の窓から彼が、

 6時間目の隣のクラスとの合同の体育の授業でバスケをしていたら、相手チームの子と正面衝突。そして倒れた瞬間、足を捻挫。思わずため息が出てしまった。骨折ではなく捻挫(しかも軽い)で済んだからまだ良かったのかもしれないけれど、これじゃあ、しばらく運動は無理だ。テーピングされた右足首から、ふと、保健室の窓の外に視線を移す。そういえば男子は外でサッカーやったなぁ。窓から見えるグラウンドでは、男子達が一生懸命ひとつの球を追っている。そして、その中でひときわ素早く動き、誰から見ても良い働きをしている少年が。サッカーのルールには詳しくないけれど、動きを見ているだけでアレが誰なのかわかってしまう。――金ちゃんや。

 金ちゃんは近所に住む同い年の男の子で、小さい頃はよくいっしょに遊んでいた。しかし、金ちゃんの運動能力が並々ならぬことに気付き始めてから、私は彼といっしょに遊ぶのをやめた。なんたって彼は手加減を知らないのだ。高学年くらいからは、鬼ごっこでも鉄棒でも水泳でも、身体を動かすことについては負け知らずな金ちゃんを、ほんまに人間なんかなぁ……なんて思いながら遠くから見つめていた。その代わり、勉強に関しては金ちゃんに負けたことはなくて、テスト前はいつも金ちゃんに勉強を教えていた気がする。とはいいつつも、別に私の成績はごく普通だ。悲しいことに彼の成績が底辺だった。

 中学に入ってから、金ちゃんとの接点はさらにぐっと減った。金ちゃんが練習の忙しいテニス部に入ったからだ。それでも金ちゃんの私に対する態度は全く変わらなかった。廊下で偶然会えば「久しぶりやなー麻衣!」なんてあの大きな声と満面の笑みでこっちに近づいてくるから、周囲の注目の的になってしまうことも多かった。
 その金ちゃんも、中1の頃は本当に子供だったけれど、白石先輩達が卒業して中2になってから少し雰囲気が変わった。そして中3になって財前先輩もいなくなってからは、ぐっと大人びた気がする。中3になって、隣のクラスになった金ちゃんは、いつの間にか私の背をぐーんと追い越していた。最近身体がミシミシ言うねん、なんて嘆いていたけれど、そりゃあ痛いやろな。こんだけ伸びるんやもん。
 そんな金ちゃんは、今、後輩の女の子達からキャーキャー言われている。こんなこと中1のときには予想もしていなかった。でも確かに金ちゃんは背も高いし、第三者から見ればいわゆるイケメンだった。それにスポーツ万能だし、あの人懐っこい性格は健在だ。確かに女の子から人気も出るのかもしれない。

「……あかん、これ、さっきより痛なってきてんけど」

 帰り道、右足首の痛みが少し鈍くなってきているのを感じる。軽い捻挫やったはずなのになんでやろ。近くの電柱に片手をついて一休みする。家まではあと1キロちょっとだ。もう少しの辛抱とはわかっていつつも、再び歩く気が起きない。そんなとき、ふと聞きなれた声とともに後ろから大きな影が伸びてきた。

「麻衣、そんなとこで何してるん?」
「えっ。わ、金ちゃん!?」

 見上げると、そこにはさっき保健室の窓から見えた金ちゃんが立っている。そういえば金ちゃん部活は?なんてふと疑問が浮かんだけれど、その疑問はすぐに消えた。
 ――そういえばもう私たちの代もみんな部活は引退してるんやった。

「実はな、さっきの体育の時間で捻挫してもうて右足がちょお痛いねん」
「へえ、捻挫ってやっぱり痛いもんなんやな。ワイ捻挫したことないからわからへんけど」
「……。まあ、金ちゃんはそうやろな。健康を絵に描いたような14歳やもんな」
「せやろー?もっと褒めてぇな!」
「ははは……」

 やはり金ちゃんには嫌味も通じない。いや、わかってはいたけれど。

「せやけど麻衣、そのまま歩けるんか?右足痛いんやろ?」
「実は今それで一休みしてたとこ」
「ほな、ワイの肩貸したる!ワイの家も麻衣の家も同じ方向やし、決定や!」
「うーん、その提案は嬉しいねんけど、金ちゃん背伸びてもうたからちょっと無理かも。私の今の身長やったら金ちゃんの肩の位置は少し高すぎるし……」

 実は、金ちゃんの肩を借りさせてもらうというのは、金ちゃんと出会った瞬間ちょっとだけ考えていた。しかし先ほど本人に直接述べたように私の身長と金ちゃんの身長では釣り合わない。さらに言えば、金ちゃんにおんぶしてもらって家まで運んでもらおうかとも一瞬考えたけど、誰かに見られたら恥ずかしすぎるということで、自分の頭の中でその案は即却下された。
 うーん、と宙を見ながら何やら考え込む金ちゃんに、その気持ちだけで十分やで、と伝えようとしたそのときだった。金ちゃんは「あ、はじめからこうすればよかったんやな!」と、いつもの満面の笑みを浮かべた。そして次の瞬間、私の身体はふわっと浮いた。

「ええええええええ!!金ちゃん、これは恥ずかしいで、ほんま!」
「えーなんで恥ずかしいん?」
「なんで、て!」

 金ちゃんは私の身体に腕を回すと、そのままだっこするように持ち上げてしまった。お姫様だっこと呼ばれる体勢ではないだけまだマシかもしれないけれど、これはこれで金ちゃんの首筋に顔を埋めるような形になってしまう。
 しかし冷静に考えてみると、こんなところで一悶着起こしている暇があったらさっさと家まで運んでもらったほうが、人目にも触れないし、家には辿り着けるし、得策だ。抵抗するのをやめた私に、金ちゃんは「ほな行くでぇ!」と楽しげに言ったかと思うと、私を抱きしめたままダッシュする。こういう無茶なことを平気でしてのけるところは昔と全然変わらない。けれど、今身体に回された腕はまるで割れ物を取り扱っているかのようにやさしかったり、「なんで恥ずかしいん?」なんて問うておきながらも結局大きな通りから一本入った人通りの少ない道を選んでくれていることに、なんだか不思議な気持ちになる。
 いつのまに手加減を知るようになったんやろ。いつのまにこんなさり気なく相手を気遣えるようになったんやろ。――いつまでも子供や思っててんけど、金ちゃんも普通の14歳の男の子なんや。

 そう考えた途端に、なんだか一気に身体中が熱をもってしまった。
 ――いや、嘘やろ? 相手はあの金ちゃんやで?!
 ――あの金ちゃんにそんな気持ち抱くとか、そんな、まさか。
 そう自分に言い聞かせるも、私の心臓は落ち着くことを知らない。その鼓動に観念して私はきゅっと目をつむり、破天荒な幼馴染を一人の男の子として認識しなおすことにした。

Fin.
2011.8.10
title by 確かに恋だった