体育祭の話

 体育祭の最後を飾る花形イベントは、3年生の全クラス対抗リレーだ。全クラス1人も残さずに走ることが必要なこのイベントは、足の速いヤツとそうでないヤツ、あるいは男女の配置について考えることも大切になってくる頭脳戦でもあった。
 学活の時間、体育委員が前に出て「さ、リレーの走る順番やけど誰か意見ある人おる?」と問いかける。すると早速どこからともなく声が上がった。

「アンカーは謙也で満場一致やろ!」

 不意に自分の名前が上がって照れくさいが、やっぱりな、とも思う。3年2組の男子で一番短距離・中距離が速いのは俺だった。

「謙也はそれでエエか?」
「おん」
「ほなアンカーよろしゅう」

 そんなわけですんなりアンカーが決まり、その後はクラスで作戦会議になった。そして決まった作戦はこうだ、まずは俺を抜いて男女交互に足の速いヤツから走ってなるべく他のクラスに差をつける。足の遅いヤツによって差が縮まったとしても最後に俺がアンカーなので、アンカーがなんとかするという、雑な作戦だ。

「そうするとタイム的にトップバッターは白石やな」
「お、そら光栄やな」
「で、女子は……」

 どこから持ってきたのか知らないが、このクラス全員の100mのタイム表が手元にあるようで、体育委員は機械的に順番をはめ込んでいく。ある意味足の遅いヤツにとっては酷な時間なのかもしれない。俺の前に走るヤツは、このクラスの女子の中で一番足が遅いということだ。そして確定した走行順、俺の前に走ることになった女子は、支倉だった。

「……謙也くん、よろしゅう」

 自分の足が遅いことがクラス全員にバレてしまった彼女は少し恥ずかしそうな顔をしていた。下手するとイジメにも捉えられるような走行順の決め方だったが、うちのクラスは仲が良いことが自慢だ。そんなことでからかうヤツは誰もおらず、むしろ『走るの得意でないヤツのこともみんなでサポートするで!』というような雰囲気だった。俺自身ももちろんそうだ。

「バトンパスさえちゃんとできればええ。後は俺に任せてくれれば大丈夫や。せやからそんな不安そうな顔せんとき」
「……うん、ありがとう……でもほんま走るの苦手やねん。バトンすら落としてしまいそうやわ……」
「アホ。最初から弱気でどないすんねん。本番まで後2週間あるやろ。走るのやって、バトンパスやって、練習すれば今よりは上手なるんちゃう?練習やったら付き合うで!」

 そう言うと支倉ははっと気付いたような表情をして、その後、ニコッと笑った。

「謙也くんありがとう!謙也くんの言う通りやね。諦めたら試合終了やって安西先生も言うてたし、練習頑張る!」

 その笑顔に、少し心臓が跳ねた。何やねん、女子に笑いかけられたくらいで動揺するなんてほんま中学生やな俺……!いや、実際中学生なんやけど。

 はじめてのクラス全員でのリレー練習の時間、俺ははじめて支倉の走っている姿を見た。体育は男女で分かれているから彼女の運動神経がいかほどかは知る機会がなかったが……あかん。完全に小春(女装時)の走り方と一緒や。でもって、バトンパスも下手くそすぎた。一旦俺の前で立ち止まってからバトン差し出すとかどんだけタイムロスやねん……!

「……これが今の全力です、スミマセン」

 アンカーはトラックを2周することになっている。2周して戻ってきた俺に、何故か支倉はカタコトの敬語で俺に謝ってきた。

「……謝らんでええ。けど、伸びしろしかないっちゅーこともようわかったわ……」

 思わず本音が出てしまった。そのセリフにぐさっときたのか、支倉の背後には漫画のように暗い影ができているようだった。そんなとき、ふと横から白石が現れる。

「こーら謙也。女の子傷つけたらあかんやろ。自分走るの得意やねんから、支倉さんの練習付き合うたったらどや?」
「アホ、言われんでも元からそのつもりや!俺が2週間で支倉をスピードスターに仕上げたるわ」
「スピードスターって何?」
「支倉さん、ボケ殺しやな……」
「とにかく!練習すれば絶対今より速なるっちゅー話や!今日から本番まで時間合わせて個別練習するで」

 お互い部活のない放課後、まずは教室でスマホでYouTubeを再生しながら座学を行う。

「まずな、腕の振り方がちゃうねん。自分、女装した小春が走っとるとこ見たことあるか?今の走り方あんな感じやで」
「えっ、ほんま?!嘘やん……」
「あと足の使い方やな。かかとから走るとそら遅なるで。つま先から走るんや」
「なるほど……」

 支倉は真剣にメモを取っていた。そしてYouTubeの再生リストに参考動画をどんどん追加していく。そんな俺たちの様子を見ながらクラスメイトたちが茶化してくる。

「おー、ケンヤ先生の特別授業や!」
「うっさいわ!」
「せやけど支倉さんは頑張り屋さんやな。謙也が足速いんは紛れもない事実やしきっと教わったらタイム伸びると思う。応援してるで!」
「俺も。走る順番の決め方があんなんやったから申し訳ないなとは思っててん。せやけど支倉が頑張っとるのはちゃんとみんな見てるで!」
「林くん、安藤くん、ありがとう…!」

 支倉は本当に嬉しそうな顔をしていた。ええクラスやな、ホンマ。俺も、支倉がこんなにやる気あるんやったら、クラスメイトもこんなに応援してくれとるんやったら、本気で応えなあかんな。

 そして支倉と俺は時間を合わせて何度か、座学と、それからジャージに着替えて実戦練習をした。特に俺達にとって重要なのはバトンパスだった。支倉からバトンをすんなり受け取れれば、それだけ俺もスムーズに走り出すことができる。

「謙也くん、サランラップの芯、調達してきたで!」

 バトン練習に臨む日、支倉はドヤ顔でサランラップの芯を俺の前に出してきた。

「ネットで見てん、バトンがわりにサランラップの芯使て練習すればええんやって」
「めっちゃやる気あるやん」
「せやろ?あとイメトレもめっちゃしてきた!」

 見て見て、と支倉はバトンパスに関する動画や記事が映し出されたスマホ画面を隣にいる俺に見せてくる。思いのほか距離が近く、柔軟剤か何なのか知らないが、ふわっと花のような香りが漂って、ドキッとした。
 最初は、足の遅いクラスメイトをサポートしてやろうと単純にそんな気持ちしかなかったが、だんだん支倉に対する気持ちの変化に気づいていた。めちゃくちゃ努力家で、素直で、無邪気で──そんな彼女のことが、どんどん気になっていた。やばい、このままやったらホンマ好きになってまうわ。

 そして迎えた本番。うちのクラスの最初の走者が白石ということで、観客席からは悲鳴に近いような声がキャーキャーと上がっている。

「とりあえず後輩達はほとんど2組、っちゅーか白石を応援してんで。応援されたもん勝ちや!」
「ああ。2位以下を離せるだけ離してくるわ」
「サラッと1位宣言か。さすが聖書様や」
「はは。ま、俺が1位取れへんかったとしても、スピードスター様が最後になんとかしてくれるんやろうけどな。ほな行ってくるわ」

 白石はスタート位置に着く。そして、スタートのピストルが鳴った。他のクラスも運動部のエース級を最初の走者に持ってきていたが、さすがU-17日本代表候補に選ばれる男だ、白石は速かった。2位以下に差をつけて、うちのクラスで一番足の速い、女子陸上部のエースへとバトンが渡る。とまぁ、最初の方はうちのクラスは調子が良かったのだが。

「……やっぱそうなるやんなぁ」
「うちらの作戦が単純すぎたんかな」

 そんなセリフとともに女子のため息が聞こえた。中盤に差し掛かると、少しずつうちのクラスの走者には遅れが目立ち、代わりに中盤にも足の速い人間を配置したクラスが上位に上がってきた。2組は現在3〜4位あたりをウロウロとしている。そして、だんだんとリレーは終盤に差し掛かる。

「……ほな、みんな、そろそろ行ってくるね」
「支倉!頑張りや!」
「麻衣、応援してるで!」

 声援を受けた支倉は少しはにかんで、バトンを受け取る位置につく。支倉の前を走っていた男子が戻ってきて支倉にバトンを渡す。支倉はきちんとそれを受け取ると走り出した。
 彼女の走りは2週間前とは全く違っていた。一気に突然速くなるわけではないが、それでもフォームはかなり整っていて、少なくとも小春(女装時)の走り方ではなくなっている。そんな彼女の姿を見て、女子たちは「麻衣、ほんまに練習頑張ったんやなぁ」なんて感極まっている。
 なのに、だ。

「あっ、」

 突然支倉の前を走っていた生徒が転んだ。そして支倉はそれを避けようとして彼女自身も転んでしまった。ただ、彼女はすぐにバトンを拾って立ち上がる。そんな姿を見て、俺の胸は熱くなった。
 ──たくさん練習したのに転んでもうて、悔しいよな。せやけど大丈夫や、絶対俺が1位にしたる。

「そろそろ俺も位置つくわ」
「謙也!頼むで!」
「おん。任しとき!」

 転んだ影響もあり、2組の順位は5位となっていたが、支倉は諦めずにバトンを持ったまま俺の方へ向かって走っている。ああもう、膝から血出てるやん……!それでも一生懸命に走り続ける彼女を見て、俺は自分の気持ちに嫌でも気づいてしまった。

 ああ、もう、めっっっちゃ好きやわ。

「──謙也くんっ!!!」
「おん。後は俺に任しとき!」

 サランラップの芯を使って幾度となく練習したバトンパス。本番のバトンパスは大成功で、すんなり支倉からバトンを受け取ることができた。
 アンカーはどのクラスも一番足の速い人間を配置しているようだ。ただ、白石が最初に結構な差をつけてくれたこと、支倉も転んだ後すぐ立ち上がってバトンを繋いでくれたことから、1位との距離はそこまで離れておらず、1〜4位までが団子のようになっている。

 よっしゃ、2周あるんやったら十分や。

 久しぶりに本気を出して走ると先頭集団にはすぐに追いついた。周りからの声援が聞こえる。うちのクラスの声援ももちろん聞こえてきて、みんな俺の名前を叫んでいる。
 1周が終わって、残り1周。先頭集団にいたうち6組の生徒が減速し、俺の順位は1つ上がって4位となった。4位といっても、1〜3位は半歩前くらいを走っている状況だ。
 2周目も半分が終わっていよいよラストスパートという頃、声援の中でひときわ俺の耳に届いた声があった。

「謙也くん!頑張って!!」

 ──支倉や。
 自分の中のギアが上がる。ほな、最後はマジで行くで。今までの走りからもう一段階スピードを上げると、一気に1位に飛び出した。
 そのまま最終コーナーからはぶっちぎりの1位をキープして、無事ゴールを切る。

 クラスに戻ると「謙也ーーーー!お前やっぱさすがやなーーーー!!」とハイテンションで声をかけられ、そのまま胴上げされてしまった。それも良いのだが、俺は支倉の怪我が気になっていた。

 無事に体育祭が終わり、クラスの打ち上げも終わった。あとは帰るだけ、そんなとき後ろから肩をトントンと叩かれた。

「謙也くん」
「支倉、やっと話せたわ。膝、大丈夫やったんか?」
「あ、バレとったん?戻ってきてすぐ保健委員の白石くんが手当てしてくれたから大丈夫やで」

 白石が手当て?!と少しだけ嫉妬の気持ちもわくが、それ以上に手当て済みであったことにホッとした。

「謙也くんと話したかってんけど、なかなかチャンスなくて──今ちょっといい?」
「おん。ほな一緒に帰るか?」
「あ、うん」

 普通を装ってそんなふうに言ってみたが内心バクバクだった。支倉のことを好きだと認識してしまったせいで、今までなら何の気無しに言えていた「一緒に帰るか?」が、緊張してしまう。
 支倉が膝を怪我しているので、歩くスピードは彼女に合わせた。ちんたら歩くのは普段は好きではないが、今はこの時間がとても心地よく感じる。

「──あんなに一生懸命練習付き合ってもろたのに、結局本番で転んでもうて……ごめんなぁ。でも謙也くんのおかげで1位になれてめっちゃ嬉しかった。ありがとう」
「アホ。謝らんでええねん。逆に支倉が転んでも諦めんとバトン繋いでくれたからこその結果やろ」
「……ありがとう」

 支倉は泣きそうな顔をしていた。え、俺泣かせるようなこと言うたか?!

「謙也くんはホンマ優しいなぁ」
「そんなこと、」
「そんなことあるで。こんな足遅い私のためにたくさん時間割いてくれたし、今も励ましてくれたやん。あのな、謙也くん、私──」

 支倉は少し緊張した面持ちで俺の顔を見上げる。

「謙也くんのことが、好き」

 え。え。嘘やろ。
 めっちゃ都合良い空耳聞こえてきたんやけど。

「──っ、ごめんな、こんなん言われて困るやろ。返事はわかっとるからええねん、ただ気持ち伝えたかっただけやから」

 支倉は慌ててそう捲し立てる。返事はわかっとる、って一体どんな返事来ると思ってんねん、絶対わかってへんやろ……!と、思わず声に出ていたようだ。

「え」
「……女子から先に言わせてもうてホンマ俺ヘタレやな」
「──え、」
「俺も、支倉のことが好きや」

 そう言うと、支倉の頬が一気に赤く染まった。そして金魚のように口をパクパクしている。

「あれだけ一生懸命走る練習しとる姿見て、今日の本番、転んでもう諦めんと走る姿見て、好きにならんほうがおかしいっちゅー話や」
「謙也くん、ほんまに……?」
「こんな嘘つくわけないやろが」
「そ、そうやけど」
「……せやから。俺の彼女になってください」

 立ち止まって、そう告げる。想いを伝えるのは彼女の方が先だったのだから、せめて交際の申し込みは俺が先に言いたかった。
 支倉はこくんと首を縦に振った後、「よろしくお願いします」と満面の笑みを浮かべていた。

Fin.
2021.9.26
Special Thanks モブ子さん
素敵な謙也くん夢ネタありがとうございました…!