マイ・スウィート

「――緊張しとる?」

 あんたがそないなこと聞くから余計緊張するんやろ、あほ!心の中ではそう思いつつ、身体は震えている。ただ、キスをするだけだというのに。

 白石がはじめてつきあった男の子というわけではなかったけれど、今までつきあってきた男の子とはキスをする前に別れてしまった。それだけ、薄っぺらい恋だったということだ。いや、そもそもそれは恋と呼べるのだろうか。
 自分で言うのもなんだけど、どうやら私の見かけは男ウケするらしい。白石とつきあう前は、よく一目惚れしたとかなんだとかで男の子から告白をされた。そして私は、相手の人が私のタイプだったらその告白を受けていた。しかし、その相手の男の子たちは数週間で私の元を去っていくのだった。その理由は私の性格が想像と違ったというものばかりだ。勝手に外見でイメージを抱かないでほしい。私の外見は確かに男の子にむかって「あんた」とか「あほ」とか言わないようなタイプに見えるのかもしれないけれど、だからといって中身はそう簡単に変えられやしない。
 そんな中で、同じクラスの中でも比較的仲の良かった白石に目が止まった。彼は、自分と同類の人間に見えた。もちろん白石のモテっぷりは私の比ではないけれど。いっそのこと、この悩みを白石に相談してみようか。

「…そら、男のほうがあほやわ。外見しか見てへんとかほんまガキやん。中学生かっちゅー話や」

 その言葉に複雑な気持ちになる。それまで私が告白をOKするときの判断基準とルックスの良さは等式で結ばれていたからだ。よく人と人との関係は鏡の関係だと言うけれど、そうか、自分がこんなふうに考えているから、相手もそんなふうにしか思ってはいないのだ。そして、白石は私と同類ではなかった。彼は、同い年のはずなのに、私なんかよりずっと大人だった。そんな白石に、ふと魅力を感じた。白石は、ルックスだけちゃう。ほんまもんや。

「確かに麻衣は喋らへんかったら“おとなしゅうてかわいらしい子”やから、外見しか見とらん奴はそのギャップにびびってまうかもしれへん」
「うっさいわ」
「まだ続きあるんやから最後まで聞き」
「……はいすみません」
「――せやけど、俺は、そんなそのままの麻衣が好きやで」
「ほんまに?ありがとう」
「……自分、今日常会話や思っとったやろ。一応告白のつもりやねんけど」

 あまりの衝撃に、身体が一気に凍ってしまったようだった。何で白石が、こんな私を?
 今、ここは教室で、昼休みで、私は窓際一番後ろの白石の席の、隣の席を借りて座っていた。教室に残っているクラスメイトは、みんな好き勝手な休み時間を過ごしているから、こんな大変なことが起こっているだなんて気付かなかった。それでも私は、あの、白石蔵ノ介から告白されてしまった。

「返事は今すぐやなくてええから、その代わり真剣に考えといてな」

 そしてその返事を真剣に考えた結果、私は白石とおつきあいというものを始めることにした。白石からの告白を承諾したことを後悔したことなんて一度もなかった。元々彼とは友達として仲が良かったし、それに、たまにエクスタシーなどという破廉恥な口癖を言うのと健康マニアなところを除けば、彼には非の打ちどころがなかった。中学時代にバイブルなどという大そうな通り名を持っていたのも頷ける。それとも、彼の欠点すら長所に見えてしまうくらい洗脳されているのだろうか。

 今日のデートは植物園だった。植物園を後にする頃、私の頭の中にはありえないくらいたくさんの毒草の知識が埋め込まれていた。今朝まではスズランに毒があることすら知らなかったのに。そして相当な量の知識を詰め込まれ疲れた顔をしていたであろう私に、白石はしれっとした顔で言う。

「――帰る?」
「え、まだ午後3時過ぎやで?」
「そうやなくて。俺んち、今日、家族おれへんから」

 さりげなく繋がれた手を振り払うことなんてできず、導かれるまま、白石の家にたどりついた。そして、白石の部屋。深夜の通販番組もびっくりなくらい健康グッズまみれなその部屋の、テンピュールの座布団に腰を下ろす。
 急にどきどきしてきた。何を隠そう――白石とつきあいはじめてから結構な月日が経つというのに私達は未だに清く正しく美しい関係だった。友達の延長みたいなつきあいだから、彼氏彼女になったからといって私達は何も変わらなかったのだ。かろうじて手は繋いでいるけれど、キスすら、していない。部屋に何種類かの飲み物を運んできてくれた白石は、座布団の上でがちがちに固まる私を見て笑った。

「誰も取って食おうとなんか思ってへんから安心しい」
「わ、わかってるわ」
「はは。何か飲んで落ち着きや?何がええ?」
「……オレンジジュース」
「はは、やっぱりなぁ」
「ガキや言いたいん? ちゃうで。女の子がキレイな肌を保つためにはオレンジのビタミンが必要なんや」
「はいはい」

 白石はそのままオレンジジュースをコップに注ぐと、ストローを差して渡してくれた。ストローがあると、リップが取れなくてありがたい。ほんまに気ぃ利くなあ、白石。私は遠慮なく渡してくれたコップにささっているストローを吸う。ああ、おいしい、甘酸っぱい。白石はそんな私の様子をベッドに頬杖をつきながら見ている。

「麻衣」
「んー?」
「……さっき、取って食おうとなんか思ってへん言うたけど、半分撤回してええ?」
「は?!しかも半分て何?!」
「――ちゅう、させて。それ以上のことは何もせえへんから」
「……いきなりどないしたん?」
「ストロー吸うくちびる見とったら、吸いつきたいなあ思て」
「……その発言、変態くさいで」
「ええやん。麻衣にしか言わんし」

 随分と熱のこもった瞳で見つめられてしまって、私は目をそらせない。けれど、もしそれが実現するとしたら、それは私にとっての、ファーストキスだ。

「なあ、白石……言うとくけど、うち、キスしたこと、あらへん」

 すると白石は驚いた顔を隠そうとしなかった。

「ほんまなん」
「嘘ついたってしゃあないやん」
「……そか。そら嬉しいなあ」

 そのときに白石が見せた柔らかな微笑みに、どきん、と心臓が鳴った。
 そして冒頭部分に戻るのである。私が今まで誰ともキスしたことがないということにとても機嫌を良くした白石のくちびるは、すでに私の頬を何度か滑っていた。しかし、私のくちびるに未だそれは到達していない。焦らされている。

「顔真っ赤やな。りんごみたいや」
「いちいち人の顔観察せんといて」

 そんな私の頬の熱を、ひんやりとした白石の手が奪った。

「し、らいし」
「――麻衣。そろそろ、目ぇ、閉じぃや」

 かつて彼のこんなに甘い声を聞いたことがあっただろうか。意を決して、私は震えるまぶたをそっと下ろした。

Fin.
title by my tender titles.