カーテン越しにささやく声

 あの平熱の低い財前光が熱を出した。
 そう知ったのは、昼休みに白石部長――否、白石『元』部長から届いたメールだった。休憩時間は保健室に入り浸りの彼から届いたメールの信憑性は高い。

 財前が熱出しとる。今はベッドで休息中や。
 マネージャーさんがお見舞いに行ったったら、新しい部長さんも喜ぶと思うで。

 ――やっぱり、具合悪かったんや。
 思い出して、少し自分を悔やんだ。今日の朝練での財前の様子はいつもと少し違った。と、同じクラスのテニス部員の男子に話したら、「え、いつも通りちゃう?」とけろっと返されてしまったため、自分の気のせいかと思ってしまったのだった。あの飄々とした財前が、自分から弱音を吐いたりするわけがない。きっと熱があるのを隠していたのだ。財前は、そういうやつだ。
 心のどこかで財前を心配しながらクラスの女友達とお弁当を食べていた私が、それを食べ終わって保健室まで彼の様子でも見に行こうかと思ったときには、もう予鈴が鳴っていた。

「麻衣ー、次、理科室移動やで」
「あ、そうなん? 今行く!」

 これは保健室に寄る暇なんてありそうにない。
 ――5時間目と6時間目の間に様子見に行くしかないなぁ。

 そして、5時間目の理科の実験を終えた私は、今は保健室の扉の前にいた。コンコン、とノックをすれど、返事はない。そっと扉を開けば、先生は不在だった。そして、2つあるうちのベッドの片方にカーテンがひかれている。きっと、このカーテンの中で財前は休んどるんやな。眠っている財前を起こすつもりはない。カーテンの外から小さな声で、名前を呼ぶ。

「……財前」

 返事はない。やっぱり寝とるんかな……?それとも、やっぱり声、小さすぎたんやろか。そう思ったとき、カーテンの内側から、小さく「麻衣」と名前を呼ばれたのを、私の耳は聞き逃さなかった。どきっとした私は、カーテンを少しだけ開いて、私はその内側に入る。

「財前、起きてるん?」

 しかし、やはり彼からは返事がない。彼に名前を呼ばれたのは確かなのに。
 その瞳を伏せてすうすうと寝息を立てる財前は、いつもより年相応に見える。額に乗せていたであろうタオルは、彼が寝がえりを打ったせいか、枕元に転がっていた。普段からマネージャーなんてことをしている私は、それを彼の額の上に直さずにはいられない。タオルをたたんでまた彼の額の上に戻すときに、彼の額に自分の手が触れた。――熱い。

「……すっごい熱や」

 こんな熱でよう朝練こなしたなぁ、なんて感心するとともに、複雑な気持ちが心を占拠する。3年生が引退して新部長に就任した財前は、たまに部活に遊びに来る先輩方の前ではいつも通りに振る舞ってはいるけれど、たまにその背中に疲れが見えた。前任の白石部長は、2年生の頭から部長をしていただけあって、少なくとも後輩の私たちからすると部長として完璧に仕事をこなしていた。そんな彼から引き継いだこのバトンは、きっと重いのだろう。全国ベスト4、関西一という実績も、今の財前にとってはプレッシャーなのかもしれない。ベッドの横に立ちひざをして、その端正な寝顔をしばらく観察する。

「あーあ、いつもこない天使みたいな寝顔やったらかわいいのに、口開いたら毒舌やからなー」

 もし財前が起きていればきっと眉根を寄せていたであろうが、そんなことを呟いてみても彼は表情を変えない。やっぱりこれはどっからどう見ても熟睡やねんな。そう考えると、さっき名前を呼ばれたのは空耳だったのだろうか。しかし、空耳にしては、リアルすぎる。
 ――寝言、なんやろか。
 そこまで考えた瞬間、一気に恥ずかしくなり、思わず首をぶんぶんと勢いよく横に振った。
 まさか財前が寝言でうちの名前呼ぶとかないやろ…!やっぱ空耳や空耳!
 それでも自分の名前を呼ばれる空耳を聞いている自分に恥ずかしくなる。しかも財前は私のことをいつも苗字で呼ぶのに。――うち、ほんま、妄想しすぎやわ。恥ずかしすぎてもう消えたい。
 そのとき、6時間目の開始を告げる本鈴が、保健室の中でも聞こえた。あかん、と慌てて私は立ち上がる。そしてもう一度だけ振り返って財前の寝顔を確認し、そして、カーテンを閉めた。

「……いっつも頑張りすぎとるんやから、今日くらいゆっくり休んでな」

 カーテン越しに呟いた声は、自分でもびっくりするくらいやさしい声色だった。財前がもし起きてたら、絶対「支倉がやさしいとか明日雪でも降るんちゃう」などと揶揄されていたことは想像に容易い。それでも早くそんな嫌味を言う元気な財前に会いたい。そんなことを思いながら、私は急いで保健室を後にした。

Fin.
2009.12.12
title by 確かに恋だった