藤吉郎祭の準備期間中のこの日、俺達は買い出しに駆り出された。そして、模擬店作りに必要なペンキや、釘、色画用紙、テープ、その他もろもろを補充するために街中を駆け回った結果、俺の両手は買い物袋でふさがった。テニス部で散々鍛えさせられた俺にはさほど重くは感じない荷物だが、一般的な女子中学生にとってはかなり重いことは確かだ。いちばん軽い袋だけを右手で持つ支倉は、申し訳なさそうな顔をした。
「堪忍な。私が男子やったら半分くらい荷物持てるのに」
「何言うてんねん。支倉が会計委員やったから領収書のもらい方とか迷わんで済んだんやろ。荷物持ちくらい俺がせな。ちゅーか元々俺荷物持ち要員やし。白石命令っちゅーのが気に食わんけどな」
「あはは」
それに、支倉が男子やったら、『別な意味』で困るんや。
とは口に出せるはずもなく、その台詞を飲みこんだ。
本当は買い出しは会計委員である支倉が1人で行くはずで、支倉はクラスのみんなに補充が必要な物を聞き回ってはメモに書き留めていた。しかし、今回はその必要な物の量が、女子が1人で買い出しに行くには多すぎたのだ。困った表情を浮かべる支倉を見逃さなかった白石は、言った。
「支倉1人で無理やったら、荷物持ちに男子1人連れてったらええ。――なぁ?謙也」
「ちょ!何で俺やねん!」
「嫌なん?」
「い、いいい嫌やない!……けど」
白石は俺の気持ちを知っている。突然話を振られて動揺する俺を見て、さも楽しそうにキューピッド気取りの白石は微笑んだ。
「ほな、決まりやな。支倉は、お供は謙也でええか?」
「うん。謙也くんが嫌やないなら、お願いしてもええかな?」
上目遣いにそんなことを言われては、いくらその上目遣いが身長差という物理的要因の産物だとわかっていても、断れるはずがなかった。いや、むしろ大歓迎だ。支倉と二人っきりで買い物なんて、そうそうあるチャンスではない。
こうして荷物持ちを引き受けた結果、今に至るわけである。
いざふたりきりになってみると、案外緊張はしなかった。学祭準備にまつわる話題で会話には困らなかった。
しかし、緊張とは違う感覚で、心臓が高鳴っているのには気づかざるをえなかった。支倉が「謙也くん」と名前を呼ぶたびに、とくん、と心臓が返事をする。支倉が笑うたびに、今この笑顔は俺だけに向けられていると思うと、口元が緩む。
あかん、今鏡見たら絶対締まりない顔してるわ。
「っくしゅん」
突然会話の途中で、隣を歩く支倉がくしゃみをした。接近している低気圧のせいか、いくら夕方から冷えるとはいっても、今日の気温は11月にしては寒すぎた。四天宝寺のセーラー服は見た目より結構寒いのよ。前に小春がそう言っていたが、支倉は冬服のセーターも着ていなければマフラーをしているわけでもない。
「風邪でもひいたん?大丈夫か?」
「うん、大丈夫。話の腰折ってごめん。ほんでな……」
小さく鼻をすすりながら、彼女は話の続きを語り出す。彼女の鼻の頭と頬はほんのり赤くなっていた。
――やっぱ寒そうやな。
だから俺は最初は何も考えず、ただ支倉が暖かくなればいいとだけ思って、提案した。
「学ラン、貸そか?」
「……ぅえ?!」
俺は立ち止まり、いったん荷物を置いて学ランを脱ぐと、支倉は突然慌てはじめた。
「きょ、教室にセーター忘れた私が悪いんよ。そないなことしたら謙也くんが寒なるで」
「俺はええねん。鍛えてるし」
「……そ、それに、なんか、な?」
視線をはずしてどもりはじめた支倉の、寒さとは違う原因で真っ赤に染まった頬を見て、俺は事態を飲みこんだ。一気に恥ずかしくなる。
「あ、せ、せやな!そ、それに汗くさいかもしらんしな!何も気づかんくてごめんな」
うっわ、何素で恥ずかしいことやっとんねん俺!どこの少女漫画や!
好きな女の子に自分の学ラン着せるとか――うあああもう何考えとんねん!
穴があったら入りたいわ!
「ち、ちゃうねん!気持ち、めっちゃ嬉しいねん。……周りの視線はちょっと恥ずかしいけど、やっぱり寒いし、謙也くんがええんやったら借りてもええ?」
そないなこと言われて断る奴がおったら見てみたいわ。
おお、ええで。と、なるべくいつもと同じようにふるまいながら学ランを支倉の肩にかけると、支倉はそれに袖を通した。腕の長さの違いからか、袖口からは指先しか出てこない。そして、学ランの裾からは数センチだけスカートが顔をのぞかせている。自分と支倉の体格差をリアルに感じた。女の子ってこんな小さいんや。
「……めっちゃあったかい」
「そら貸しがいがあるっちゅーもんや」
「さっきまで謙也くんが着とったからやんなぁ」
そない恥ずかしい台詞言いなや…!と叫びたかったが、支倉相手には怒鳴ることはできず、結局支倉の「ありがとう」という言葉に、「おお」と答えるのが精一杯だった。
俺達はまた学校に向かって歩き出す。しかし、さっきまでとは打って変わって、俺達の間に会話はほとんどなくなった。むしろ、さっきまであんなに楽しく談笑していたほうが嘘みたいだ。ちら、と横目で支倉を見ると、支倉は空いているほうの手で学ランの襟元をきゅっと握り締めながら、伏目がちに、まるで俺の学ランを慈しむように、微笑んでいた。
ああもう、そんなことされたら期待してまうやろ。
*
「お~着いた着いた」
学校の正面玄関に着いて、俺は両手の荷物を下ろす。指が、小さいときに長いことブランコで遊んだ後のような不思議な感覚になった。
「ほんまありがとうな。謙也くんいてへんかったらこんなにたくさん買いものできひんかったし……それにコレも」
支倉は学ランを脱ぐと俺に手渡した。十数分間だけ俺の元を離れた学ランを着直す。学ランにはぬくもりが残っていた。さっきの支倉の言葉を借りるとすれば、「さっきまで支倉が着とったから」や。
「お礼言われるほどのことやないで。ほな、教室戻ろか?」
「あ、私その前に委員会の関係で生徒会室寄らなあかんねん。申し訳ないけど謙也くん先教室戻っといてもらえる?」
「ほんなら先行って待ってるわ。大変なんやな、会計委員て」
「うん。結構めんどくさくて、ついさっきまで何でこんな仕事多い委員会入ってんねやろ~って後悔してた」
「なら、今はもう後悔してへんの?」
何気なく尋ねたその疑問に対して返ってきた答えは、俺を動揺させるには十分すぎた。
「してへんよ。――もし会計委員やなかったらたぶん謙也くんと2人きりで買い物なんて行かれへんかったもん」
俯きながら言い放つと、ほなまた教室でな、と支倉は生徒会室に向かって去っていった。その後ろ姿で、彼女の耳が赤く染まっていることを確認する。
なあ、そんなこと言われたらほんまに期待するで。
勇気を出してくれた彼女に俺が返せることがあるとするならば。
ダッシュで教室に向かい、荷物の袋だけ置いて、生徒会室の前へ向かう。
――早よ、伝えな。
この学ランのぬくもりが消えないうちに。
Fin.