お守りの話

 蔵が大阪の本社に異動になってから、私たちは大阪と東京の遠距離恋愛を続けていた。毎週末会えるわけではないけれど、月に1回は予定を合わせてお互い行き来するようにして、もうすぐ1年が経とうとしている。

 周りの友達は普通に彼氏と仕事終わりにデートをしたり、中には同棲や結婚をして一緒に暮らしている子もいるのに、どうして私だけ蔵に会うのにこんなにハードルが高いんだろう。でも、遠く離れたからって蔵のことが好きな気持ちはなくなるわけなくて、むしろ、もっともっと好きになっていく。普段会えないからこそ、会える時間が尊くて、とても愛おしい。

 今回は三連休を使って、私が大阪に遊びに来ていた。蔵は大阪のマンションに一人暮らしをしていて、基本的にはそこが私の大阪滞在中の居場所になる。もう、大阪に来るのも慣れた。USJや新世界などの大阪ならではの場所のデートもすでに完了した。だから、今回の三連休は、普通にお買い物をしたり、普通にごはんを一緒に作って食べたりして、過ごしていたけれど。

 三連休最後の日は、心が少し重い。
 だって、今夜、東京に帰らなきゃいけない。
 ──次に蔵に会えるのはいつだろう?

「……お目覚めやな。おはようさん」

 ふと目覚めると、目の前には蔵の顔があった。昨晩あれだけ唇や身体を重ねてお互いの想いを交換しあったというのに、やっぱり寝顔を見つめられていたのは恥ずかしくて、頬が一気に熱くなる。

「蔵、いつから起きてたの?」
「……俺もさっき起きたとこ」
「ほんと?蔵が寝坊するの珍しい」
「昨日俺も麻衣に夢中になりすぎたっちゅーことや」
「……えっち」
「俺がえっちなんは麻衣限定やで」

 蔵はそう言うと昨晩の意地悪な表情とはうってかわって、朝にふさわしい爽やかな笑顔を浮かべている。ああもう、ずるいなぁ。このギャップで、またどんどん彼を好きになってしまう。

「今日はどこ行きたい?新幹線、20時台やったよな。日中は時間あるし、どこでも連れてったるで」
「うーん、もうお昼近いし、いつものカフェでブランチは食べたいかも」
「ん。ほな、準備したら行こか」

 そう言うとシングルベッドの中で隣にいた蔵は身体を起こして、床に落ちていた部屋着のTシャツを着る。今はこんなに近くにいるのに、触れる距離にいるのに、24時間後にはもう数百キロも離れてしまう。そんなことを考えるとなんだかブルーだ。ううん、今、この瞬間をもっと楽しまなきゃ──。

 ブランチを食べて、そのまま近所を散歩して──そんな風に過ごして一旦スーツケースを置いている蔵の家まで戻る。きっとこの後はふたりでまったり映画でも見て、早めの夕ごはんを食べて、そのあとは新大阪まで送ってもらってバイバイだろうな。

「ねぇ、蔵」
「何?」
「次、いつ会えるかなぁ」
「……そやなぁ、ちょっと待ってや」

 会社の携帯を取り出した蔵は、そのままOutlookで自分の予定を確認する。そして、少しだけ困った顔をした。

「……すまん、来月は土日、ちょお立て込んでて。東京行かれへん」
「……私がまた大阪来ようか?」
「来てくれたらめっちゃ嬉しいねんけど。ただ、日中は仕事関連の予定で埋まりそうや。それでも来てくれるんやったら大歓迎やで」

 そんなこと言ってもらえたら行かないわけないけれど、でもやっぱり日中一人ぼっちはさみしい。そっか、こんなゆっくりしたデートはしばらくできないのか。

「……すまんなあ、さみしい思いさせてもうて」
「ううん、大丈夫」
「大丈夫やないやろ。嘘、下手くそやな」

 そう言う蔵のほうこそ、何だかいつもより寂しそうな顔をしている。いつもすました顔をしている蔵の、たまに私だけに見せてくれるこういう表情が、とても好きだ。と同時に、胸がきゅうと締め付けられる。

 どちらともなく唇を重ねたのを合図に、そのまま蔵の体重が私に乗ってきて、私はまた蔵に身体を預けた。抱きしめられると、爽やかなヘアワックスの匂いと、少しだけ汗をかいたような匂いが混じって、蔵の匂いだな、と愛おしくなる。昨晩も身体を重ねたばかりなのに、と理性では思うのだけれど、やっぱり私も蔵を求めてしまっていて、そのまま蔵に夢中になった。この蔵の匂いを永遠に感じていたい。無理なのはわかっているけど、願ってしまう。離れたくないな。

 愛しあった後、彼は「麻衣、いっしょに入らへん?」とお風呂のお誘いをしてきたので、いっしょにお風呂に入る。一人暮らし用のマンションのお風呂は狭くて、背の高い蔵といっしょに入るととても狭いけれど、それでもそんな時間が幸せだ。でももう、お風呂の中のデジタル時計は18時を指している。私たちに残された時間は、あと2時間。

 新大阪の駅は、三連休最終日で賑わっていた。ファミリーもいれば、ビジネスマンもいるし、私たちのようなカップルもいる。
 蔵の家であのあと軽い夕飯を済ませてきたから、あとは東京に帰るだけだ。慣れた手つきで蔵は新幹線の入場券を買う。

「……帰したないけど、麻衣も明日仕事やしな。今から帰っても家着くの23時頃やろ?」
「……うん。私も帰りたくないけど、しょうがないよね」

 このバイバイする時間が本当に苦手だ。泣いてしまうと蔵を困らせてしまうのに、どうしても涙腺がゆるんでしまうのだ。あ、今日もやっぱり我慢できなくて涙が出てきちゃった。
 新大阪が始発の新幹線が入線してくる。本当にもう少しで帰らなくちゃ。何で本当にこんなに好きなのに、離れてなきゃいけないんだろう。
 あと10分で、私が乗る新幹線は、ここを出発する。

「……また泣かせてもうた」
「ご、ごめん」
「謝らんでええよ。せやけど俺も、麻衣がおらん部屋に戻るの、寂しいわ」
「もう、蔵までそんなこと言わないでよ」
「……はは、すまんな。そんな泣き虫な麻衣に、お守り」
「? お守り?」

 そう訊ねると、蔵は私と繋いでいた手をいったん離して、そのまま私の左手をとる。そして。

「え、」
「……これあれば、ちょっとは寂しくなくなるやろ」

 薬指にはめられたのは、ダイヤがきらきら輝いている指輪だった。こ、これって、もしかして──

「仕事落ち着いたら、まずは麻衣のご両親に挨拶行こな。そのあと俺の実家行って。全部整ったら、籍入れよな」

 どうしよう、感情が渋滞して涙が止まらない。とりあえず頷くしかできない私の頭を「ほんまに泣き虫さんやな」と蔵は撫でる。

「返事は?」
「……はい」
「……良かった。これで断られたらほんまに立ち直れへんところやったわ」

 断るわけないのをわかっていて、蔵はそんなことを言う。そんな中、まもなく発車のアナウンスが流れる。

「ほな、またな」
「──うん、蔵、大好き」
「──ん。俺も愛してるで」

 そう言って蔵は私の額に軽くキスをすると、そのまま新幹線のドアに向かって私の背中をそっと押した。

Fin.
2021.10.16